| 「じゃあね」 わたしの頭を一つ撫で、姉は例の微笑を浮かべた。 日差しから彼女の白い肌を庇う傘。手を振り返すわたしの腕にも愛傘が掛かっている。柔和な姉に似つかわしい日傘は間違っても弾が出たりなんかしない。 これ持って行って、と手渡した屯所に咲いた白い花を腕に抱いて姉は帰って行った。 もう臨月だ、淡い水色の着物に包まれた腹は大きかった。 少し前にあったときは全く目立たなかった。 あそこに赤ん坊がいると改めて認識させられたのは、大きくなった腹から以外にもある。会話の合間に下腹部を撫でる姉の動作が様になっていたことだ。姉はそれを愛おしげに抱えている。姉は自分の知らない間にすっかり母親になっていた。 姉は大好きだ。だから心配をかけてはいけない。そう努めているせいか、彼女がひとしきり談笑して帰って行くとわたしは疲れてしまう。それは心地良い疲労で少し甘い痺れでもあった。 小さい頃はよく姉に心配をかけた。今はとくにそんなことはないが習慣とは恐ろしく、身に覚えが無くとも構えてしまう。繰り返して言うが、わたしは姉が大好きだ。だから、あの子も好きだ。だから、二人分の心配はかけられない。 姉を見送ったあと、自室に戻って畳に伏した。手入れもろくにしていない甘ったるい色の髪が散る。枝毛を見つけた、少し毛先を切らなくてはいけないかもしれない。ふにゃふにゃの猫毛は大嫌いだ。結んでもすぐ解ける軟らかい髪。うっすらと汗の浮いた首に髪は張り付いてしまう。指先でそれを玩びながら、もれた陽射しに透かす。強い初夏の陽を受けて髪の毛が蜂蜜のような色を放つ。そういえば三つの頃亡くなった母がこんな髪の色だった。まあ、それを思えば悪くはないかもしれない。 何か甘い香りがしている。姉にも持たせた庭のエゴノキだろう。そういえば土方さんがもう切ってしまおうか、と言っていた。わたしはあの花が大好きなのに。 わたしの此処が膨れることはもう無いだろうけれど。赤子を気遣うあのひとがひどく優しげだったからふと姉を真似て腹に手を遣る。ぺちゃんこのそこは嫌に頼りない。わたしは眉をしかめた。違う、わたしは母にはなれぬ女だ。ふいに打ち消す。 母に為れたとて、この腹から出てくるのは修羅の仔だから。腹の内側はきっと不安げな漆黒だったろう。かわいそうだ。馬鹿。現在のわたしにか、あの日のわたしにか。悪態をついてみた。 (まだ生まれていない赤ん坊とは何処にいるのだろうか、その意識は何処に?) 亡霊も赤ん坊ももしかしたら同じところにいるのかもしれない。肉体が無いものと意識が無いもの、仲良くできそうだもの。じゃあ、出生とは最も死に近しい過程なのかしら。それじゃ、わたしの子と姉上の子は仲良くやっているかもしれない。ぴくん、と力を抜いた指が無意識に動いた。 赤子と死体、自分の考えに首を傾げてみると畳に擦れてじゃり、と髪が鳴る。(ああ、手入れをしなくては) 死人と赤子は同じ場所にいる。声に出してみた。耳障りは案外悪くないんじゃないか。 うっすら開けた眼には開け放した障子。夏空がきゃらきゃらと在る。入道雲の向こうに子供等がいると想像したら、何だか楽しくなった。 ぎゅう、と手足を丸めてうずくまってみる。暑いが少しも構いやしない。こうやっていれば、あの子とも流した子ともリンクできる気がする。心地よい。 生まれてくる子供は姉上に似てると良いな、とぼんやり思う。 瞼を閉じて温かなあの腹にいる子に思いを馳せた。 あんたは姉上に似て生まれておいでね、林さんより姉上の方がずっと見目好いから。 くすくす、といつもより少しだけ柔らかく笑えた。ふんわり、と甘い香りがする。きっと庭のエゴノキだ。秘密を抱えて生きる、身勝手さがわたしと良く似た。 ああ、そうだ。あの子が生まれる日、わたしはきっとまたあの花を贈ろう。そして同じ日にもう一人の赤子にも同じ花を贈るのだ。 2007/4/23 初期沖田 (【Lucy in the Sky with Diamonds 】(ルーシーがダイアモンドを持って空にいる)ラッタラッタ、ラダーヤコブ。花束を背に隠し、駆け昇って君らに会いに行こう!) |